第5回まちおん出演者募集

第5回まちから始まる音楽フェスタ 
出演者募集のご案内

ミュージシャンと商店主が協力して、まちを舞台に開催した音楽イベントの、「まちから始まる音楽フェスタ」は2007年5月には4回目を開催し、佐嘉神社や願正寺、佐賀駅など9会場で約80組が出場し、1万人以上の来客が集まりました。
 2008年5月11日には、3万人の集客を目指し、第5回を開催する運びとなりました。
佐賀、福岡、長崎等のミュージシャンに幅広い支持を受けてきたイベントですが、より多くのミュージシャンに参加を求めるため、出演者の公募を行う事としました。

募集対象
 音楽のジャンルは問いません。
 ミュージシャンとまちの有志がボランティアで開催するイベントのため、主催者からの出演料や交通費等の支払いはいっさいありません。また、事務所等と契約されているミュージシャンについては、その点、御確認をお願いします。

申し込み方法 
「出演者の紹介(連絡先も含む)」「今までの活動履歴」「代表曲の音源(CD、MD、テープなど)」を、メール、ファックス、もしくは郵送でお送りください。音源については、郵送か持込でお願いします。
※送っていただいた音源は返却いたしません。
※頂いた個人情報は、まちおんに関することにのみ使用し、第三者に提供することはありません。

申し込み締め切り   2008年3月15日(必着)
申し込み、問い合わせ
〒840-0831
佐賀県佐賀市松原1丁目2番35号
佐賀商工会議所内 まちおん事務局 (担当:古川)
 電話       0952-24-5157     
 ファックス    0952-26-2831
 メール      k-furukawa@saga-cci.or.jp

 応募いただいたミュージシャンについては、実行委員会の審査員が審査を行い、3月末までに結果を通知いたします。

わたしたち消費

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

 消費論、というより大衆論。
 昨今、あまり広く知られていないヒット商品というものが増えてきている。脳トレとか、ラブ&ベリーとか、ケータイ小説とか。
 「それって何?」「本当にはやっているの?」といわれるようなものが。メガヒットをして売上をあげている。
 これはつまり、もう誰も彼もが同じものを欲しがる時代ではないということだ。
 日本人は戦後の焼け野原から出発し、衣食住にこと欠く生活から何とか脱出しようと働きに働いて、高度経済成長を成し遂げた。衣食住と三種の神器と呼ばれる生活用品を求め、「人並みの生活」を目指す消費のあり方は、誰もが比較的同じようなものを求める消費のあり方だった。
 しかし、日本が豊かになると、消費は生存のための手段から、自己実現の手段へとシフトしていく。そのためには、人と違うことが意味を持つようになり、人々のニーズは細分化、個性化をしていくようになる。
 もうひとつは、地価の高騰によりマイホームを持つということをあきらめた人々が、その人生最大の買い物にむける資金を他のことに向け始めたこともある。

 「人並みの生活」「みんなと同じ」というライフスタイルは、バブルの狂乱とその後の失われた十年で、人々にしらけられることになった。みんながしているからとジュリアナで踊って、ティラミスを食べたからといって、結局それはなんだったんだろう、という無力感だ。
 結局、人々は無根拠な「人並み」「みんなと同じ」を放棄して、「わたし」を求め、自分と趣味思考の合うコミュニティの「わたしたち」の嗜好にあった消費へと向かうことになる。
 所得や階層、年代、性別、地域、文化的嗜好、その他諸々。条件が変われば思考も嗜好も変わる。どのような「わたしたち」に呼びかけているのか。そこが問題だ。
 人間色々。男だって色々。女だって色々なのさ。
 

仏教「超」入門

仏教「超」入門 (PHP文庫)

仏教「超」入門 (PHP文庫)

 仏教って難しい。
 「縁起」と「空」という哲学が仏教の本質であり、実は原始仏教には超能力も、死後の世界の概念も存在しないとはびっくり。
 原始仏教は、あきらかに宗教というより哲学である。それがいろんな人に伝わるにつれて宗教色や呪術色が加味され、変質して日本に伝わり、それが日本の土着の文化と融合してもうなにがなんだかわからないものに変わってしまった訳だ。私見だが、悪人正機衆生の救済を唱える浄土真宗は、むしろキリスト教に近いのではないだろうか。
 そう考えると、キリスト教的ないろんな風習が日本に溶け込んでいるのも、なんか違和感もないような感じがしないでもない。

鈍感力

鈍感力

鈍感力

 話題の本。
 空気嫁とか言う言葉が流行する反面、こういう本も出てくる。
 敏感すぎてなにかと気にしすぎてすぐ落ち込んでしまったりノイローゼになったりしてしまう人が多いので、こういった鈍感力という概念は、自分の身を守るために必要なことだろうと思う。
 でも、肌が敏感でアレルギーを起こしやすいとか、鈍感な腸を持つとお腹を壊しにくくて人生得するとか言われても、そんな先天的なこといわれてもどうしようもないのではないだろうか。

自治体格差が国を滅ぼす

自治体格差が国を滅ぼす  (集英社新書)

自治体格差が国を滅ぼす (集英社新書)

 自治体格差の話。
 夕張市の破綻問題で、いよいよ現実味が増してきた自治体格差である。様々な自治体が紹介されているが、一般的に経済的に豊かな自治体が豊かで、貧しい自治体が貧しい。
 それと並行して、原発のある自治体とかが、自治体規模と比較して使いきれないほどお金を持っている現状も指摘されている。
 交付金という制度で、経済的に豊かな地域から貧しい地域への所得移転が行われ、そのことに関する反感や問題視も強まっている。
 その反面、筆者が指摘するのは、水や空気、環境の保全が主に地方で行われていること。それに、廃棄物の処理も処理が追いつかないので、都心から地方へとごみが搬出されている。
 そして、電力の問題を見ると、東京電力原発が新潟にあり、関西電力原発が福井にある。
 中央と地方、都会と田舎は相互に深い関係を持ちながら存在している。そのことをきちんと分析して、情報公開して、国民の同意を得て、守らなければいけないものは守り、持続可能な社会を作っていかなくてはいけないのではないのだろうか。

スタバではグランデを買え!

スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学

スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学

 基本的に価格の話。
 お店で売ってる価格は、なぜその値段なのか。ペットボトルのお茶はスーパーで98円で自販機で150円なのに、なぜ自販機のお茶は売れるのかとか。
 結局、人が購買行動に走る価値観として「実際の価格」+「その取引をするための取引コスト」の合計でものを考えるということ。
 人がものを買うとき、貨幣以外にもいろんなものを使っている。代表的なものは、お店に行くまでの交通費とかそのための時間とか。あと、買ったものが本当に自分にとって価値のあるものなのかよくわかんないリスクとか、お店に自分の欲しいものがなかったらどうしようというリスクとか。
 とにかく、取引コストという点に注目したのが、この本の特徴だと思う。
 特に印象に残ったのは、次の一節。

 (子供の医療費の無料化について)医療費の無料化によって確実に起きることは、さほど必要がないのに病院に通う人が増えるということです。薬局で市販の薬を買うよりも、病院で診てもらって薬をもらうほうが安いのです(タダだから当然ですが)
(中略)
 長期的には、こういった政策に対して小児科医の人数がどう変化するのかも大きな問題ですが、短期的に問題となる点が、はっきりと2つあります。ひとつは、混雑の激化によって、急いで処置をすべき患者(乳幼児)への対応が遅れるという点です。
 もうひとつは、とても大きな不公平が生じるという点です。
(中略)
 ここで、図にあるように、年金暮らしの祖母が子供を病院に連れて行ってくれるケースと、忙しく働く母親が子供を病院に連れて行くケースを比較します。祖母のコストはほぼゼロであるのに対して、病院の混雑が予想される場合には、働く母親は仕事を休んで病院に連れて行くことになりやすいでしょう。

第8章 子供の医療費の無料化は、本当に子育て支援になるか? より

 つまり、医療費の無料化が医療の取引コストを高め、しかもこのコストは年金暮らし世代のいる家庭や専業主婦家庭には軽く、共働きや母子家庭には非常に重く負担がかかるような仕組みになってしまう。
 お金の問題はお金で解決できるが、取引コストの多くはお金ではない。代替不可能ないろんなものを奪っていく可能性がある(職とか)。
 取引コストは、その人その人の事情によって一様でないことも重要だ。
 
 なんでも計算しなくちゃね。

中心市街地成功方程式

 

 いまいち意味が分からない。
 
 中心市街地の公共性や、少子高齢化人口減少社会の中でコンパクトシティを実践しなければいけないという社会的価値から、中心市街地の必要性を強調しながら、現状の商店街がそういった社会的機能を有していない現状も指摘してある。中心市街地の公共的側面に注目して、単なる商店街振興からまちづくり活動への方向性も示唆している。
 そして、そういった状況の中で「オンリーワンの街づくり」とか、「まちづくりは人づくり」といった、一村一品運動の時代から変わらないキャッチフレーズが並んでいる。いい加減ここら辺のキャッチも飽きてきた。じゃあ、衰退している地域は人間力が不足しているのかという、私が嫌いな議論になってくる。

http://namilog.sagafan.jp/e12340.html
ここらへんに書いてあることですが、

記事の最後の段落の小見出しは、「やり方次第」と、記事から受ける印象とはちょっと違和感を覚える、無責任な見出しがついているが、

中心商店街活性化は「やり方次第」
というが、

その「やり方」を知りたいんだと、だれしもが何年も思っているのではないだろうか。

 まあ、そういう話になりますね。

 私がこの本で一番重要視したいのは、中心市街地の重要な要素に雇用の要素を挙げていること。
 雇用があり、収入があるから、消費がある。雇用がなければ、人々(特に若者)は地域から去っていく。
 私が思うに、蛍雪の功で勉強し、青雲の志を持って都会に出て「いい学校」「いい会社」に進むことが幸せな人生かどうか、失われた十年で疑問がついた。バブル再来の現在若者がどう考えているかどうか知らないが(調べろよ)人の生きるモデルが多様化してきている。そのような時代に、若者に「こういう人生どーよ」と提案できるまちがつくれたらいいなあ、となんとなく思った。もちろん、その人生提案のためにも、地域に雇用があることは、最低限必要なことだ。
 戯言だが。