わたしたち消費

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

 消費論、というより大衆論。
 昨今、あまり広く知られていないヒット商品というものが増えてきている。脳トレとか、ラブ&ベリーとか、ケータイ小説とか。
 「それって何?」「本当にはやっているの?」といわれるようなものが。メガヒットをして売上をあげている。
 これはつまり、もう誰も彼もが同じものを欲しがる時代ではないということだ。
 日本人は戦後の焼け野原から出発し、衣食住にこと欠く生活から何とか脱出しようと働きに働いて、高度経済成長を成し遂げた。衣食住と三種の神器と呼ばれる生活用品を求め、「人並みの生活」を目指す消費のあり方は、誰もが比較的同じようなものを求める消費のあり方だった。
 しかし、日本が豊かになると、消費は生存のための手段から、自己実現の手段へとシフトしていく。そのためには、人と違うことが意味を持つようになり、人々のニーズは細分化、個性化をしていくようになる。
 もうひとつは、地価の高騰によりマイホームを持つということをあきらめた人々が、その人生最大の買い物にむける資金を他のことに向け始めたこともある。

 「人並みの生活」「みんなと同じ」というライフスタイルは、バブルの狂乱とその後の失われた十年で、人々にしらけられることになった。みんながしているからとジュリアナで踊って、ティラミスを食べたからといって、結局それはなんだったんだろう、という無力感だ。
 結局、人々は無根拠な「人並み」「みんなと同じ」を放棄して、「わたし」を求め、自分と趣味思考の合うコミュニティの「わたしたち」の嗜好にあった消費へと向かうことになる。
 所得や階層、年代、性別、地域、文化的嗜好、その他諸々。条件が変われば思考も嗜好も変わる。どのような「わたしたち」に呼びかけているのか。そこが問題だ。
 人間色々。男だって色々。女だって色々なのさ。