高学歴ワーキングプア

 

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

 現在大学院の博士課程を修了した人の就職率はほぼ50%で、1割から2割の人が行方不明になっている。「末は博士か大臣か」どころではなく、博士課程にいくとワーキングプアへの道まっしぐら。
 結局ここでもロスジェネ論が出てくる。少子化による大学の衰退期、かつ就職氷河期に該当する時期に、大学院重点化政策が打ち出され、多くの学生が院に進む(入院)時期が生まれた。
 しかし、少子化による教員市場の衰退期であり、院を出ても教員にはなれず、企業も院生を採用しようとせず、ワーキングプア化する「ノラ博士」が大量発生する結果となる。
 縮小する教員市場では、受験者への要求が厳しくなる。それまで持っていることが珍しいものであった博士号の取得が必須になったりと、門が狭くなるにつれて、壁はどんどん高くなる。
 しかし、既に教員業界で既得権を持つ人たちは、博士号も持たず、論文も書かず、業界への門戸を閉ざすことで自分たちの既得権益を守り続けた。博士号を持った受験者が、博士号を持たない人たちに、どんどん否定され、落とされていく。かくして、博士号を持ったフリーターやニートが生まれ、いずこかに消えていっている。フリーターをしたり、単純労働に従事するには、博士はあまりにも矜持が高すぎる。矜持を捨てて未来を作れなければ、吊るしかない。
 
 結局、ここでも「人間力」云々で社会へのエントリーを拒絶されたロスジェネと類似した展開が繰り広げられたわけだ。
 
 博士を作るために投じられた巨額の私費と公費は、大学法人を経由して、どこかに消えてしまった。
 その巨額の費用はフローとして大学法人の懐を潤し、ストックとしての成果物である博士は社会の外に打ち捨てられた。
 少子化の進行と好景気と高学歴ワーキングプア化で、大学院バブルは終焉に向かいつつある。
 
 結局なんだったんだろうね、我々ロスジェネは。