若者殺しの時代

 殺。

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

 いわゆる文化論。
 80年代に「若者」が定義され、「若者文化」が商品化され、高額化し、大学生が勉強しなくなって「若者文化」に必要な資金を手に入れるためにアルバイトに明け暮れるようになる。ここらへんは『働きすぎの時代』でも指摘されていたことかな。
 バブルがはじけて、失われた十年が過ぎて、高度経済成長の時代は終わった。でも、次の目標は提示されていない。でも、前時代の価値観や文化は残っている。誰も区切りをつけていない。

 がんばれば逆転、の可能性がなくなって、もっともわりを食うのは若者である。
 「こいつは見どころがある」程度のレベルでは、相手にしてもらえなくなった。(中略)それは、戦後生まれの世代とその後の世代が、まったくおとなになろうとはせず、いつまでたっても自分たちが若者のつもりだったからである。上の世代がおとなになって、おとなを演じてくれなければ、10代や20代の若者は、若者にさえなれないのだ。

 第5章 1991年のラブストーリー、より
 
 そうして若者は殺される。
 「ロシア革命におけるもっとも貧しいロシア貴族のよう」(終章2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱、より)に吊るされてしまう。

 「うまく言えないんだけど、うまくやってくれとしか言いようがない。悪いな」(あとがき、より)
 悪いな。