文科系トークラジオLife

文化系トークラジオLife

文化系トークラジオLife

 podcastで知って、今最も熱中しているラジオ番組。佐賀では聞けないけどね。
 こういった、本来東京でしかアクセスできないメディアにインターネット経由でアクセスできるようになって、すごく楽しい。
 ロングテールとはちょっと違うけど、こういうローカル色や独自色がある番組って楽しい。自分でもラジオ作りたくなるね。
 で、
 内容についてだけど、バブル崩壊から、失われた十年、そして「バブル待ち」と呼ばれる人々の出現した現在の時代を通して、色々ぐだぐだとトークしていく人気(藁)番組の書籍化。本当に人気なら、午前1:30から午前5:00までのスケジュールで放送されねえ。
 話題は文化系カルチャーを中心に、バブルとか失われた十年とか、東京再開発とか、憧れの男性とか女性とか、働くことというのはどういうことなのかとか、大人になることとか。
 社会学者のチャーリーこと鈴木謙介(なんでチャーリー?)を中心に、いろんな人が社会を文化系的にトークしていってる。
 
 帯に、「失われた十年のあとで、僕らは何を語るべきか」という言葉が書いてある。この本の中で分類してある時代論として、
 

  • バブルの頃

 右肩上がりの経済と終身雇用で、古典的伝統的な幸せを享受できる社会。会社の経費で遊びまくり。ひゃっほー。

 バブル崩壊、企業の採用抑制とフリーター、派遣、ニート問題。格差問題。終身雇用の崩壊と、所属意識の希薄化。働く意義を見出すことが困難になる。

  • 現在(バブル待ち)

 景気が回復して、新卒の就職率の改善。就職拘束等のバブル時の風習の復活。いずれバブルが来て、様々な問題を吹き飛ばしてくれるのではないだろうかという期待感。←今ここ

 世代論で物事を語るのはやめようかとおもうのだけど、ここまで明確に世代で機会に差があるのを見せ付けられると、愕然とする。
 

 「AC」「ひきこもり」に始まり「フリーター」や「ニート」から「ロストジェネレーション」に至るまで、僕や僕の世代は、長いこと「ネガティブな名指し」の標的にされてきました。社会が大きく変わろうとする時代の曲がり角を迎え、その「否定」が、僕ら自身の責任ではなく、スケープゴートを必要とする社会の都合で生み出されていることに気づいた人々による、怒りの声があちこちで上がりつつあります。その怒りは、もしかしたら、この国に久しぶりに「政治の季節」を呼び出しつつあるのではないかとすら、僕は思います。

 「希望の話」をしよう より

 スケープゴートを必要とする社会。そのあおりを食らった人々の無念とか、怒りとか、諸々のそういったものは、いったいどこに行けばいいのだろう。この国の偉そうな人たちは、いつだって自分勝手で、自分の都合で、自分のことしか考えていない。

鈴木 大前提として言いますが、経済問題も貧困問題も、確実に存在しています。その上であえて、今回の特集を含めた昨今の左派の主張に物申すとすれば、僕が非常に気に入らないのは、そこで用いられているロジックの構造なんです。つまり、「君たちはロストジェネレーションだ、被害者なんだ。どんなにそこそこうまくやっているように思えても、それもかりそめのもので、みんな搾取されてひどい目に遭うんだ」って散々脅した上で、「それがイヤなら我々と連帯して現政権を打倒しよう!」という形で政治的動員を図ろうとしている。政治運動の必要性は認めますけど、それでもその”被害者として否定することによって、自分たちの陣営に巻き込んでいく”やり方には非常に腹が立つ。
 ……つうかさ、まずそれがおかしくてさ、なんでお前らに動員させられて戦わされなくちゃならないんだよ、それこそ戦後の運動の失敗の歴史そのものだし、戦前と何も変わらないだろうが!って僕は思うわけ。(徐々にワナワナしてきて)動員のために「君たちはロストジェネレーションなんだ」「自信がもてない人たちなんだ」「人生に迷ってるんだ」ってさんざん言っておいて、動員に乗ってこないと見ると、「最近の若い連中は右傾化してて、ほいほい小泉についていって騙された」?ふざけんなよ俺らが欲しいのは、闘争じゃなくて、単なる普通の幸せだよ!

 ロストジェネレーション より
  
 「普通の人生なんて、つまんないじゃーん」とか言ってた人がいて、「せめて、普通に暮らしたい」と願う人がいて。
 そして、うまくいく時代と、うまくいかない時代があって。
 うまくいかない時代というのは、とにかく残酷で悲惨な時代だ。

本田 (前略)大学生の多くは企業の採用基準が不明確だと思っている。なのに企業の側はその基準を「コミュニケーション能力」云々とか、「人間力」といった曖昧な言葉でしか言わない。(後略)
本田 (前略)その時に採用の基準が「人間力」の有無だと言われてしまったら、それは結局、自分の”全部”を売りに出しているのと同じことだと思うんです。それはとても辛いことで、自分が評価されなかった際には何も残らない。

 働くということ より
 
 なにその人間として全否定。
 ただ単に、募集数と応募数の折り合いがつきませんでしたという問題を、人間力とか言う概念を持ち出して相手を全否定する風潮は、誰が作ったんだ?人様を全否定できるほど、人間力とやらは優れているのか?
 

鈴木 (前略)僕は、そういうのではない「希望」の話をしたいって思っているんです。番組のサイトのコンセプト紹介で「ネガカルチャー」って言葉を挙げているんだけど、今いちばん多い言葉って、誰かを否定する物言いだと思うのね。「あいつは全然ダメ」「俺はあいつとは違う」みたいな。そういう否定形でしか、自分のことを表現できない感じのことを指しているんですけど、でも最近、「そろそろ、自分のことを肯定的に語ったり、素直に幸せになりたいとか言ったりしていいんじゃね?」って思うようになったんです。あいつを倒せとか、戦わないと未来はないとか、俺はあいつと違うから俺のほうが偉いとか、そういうのはもうホントにいいから。(後略)

 ロストジェネレーション より

 そういうのはもうホントにいいから。希望の話をしよう。

柳瀬 もう僕は、一言で言うと、「とりあえず働け!」ですね。お前らの頭の中より、世界のほうがはるかに広いんだから、とりあえず働け。自分の人生は、それ自体は誰も助けてくれないんだから。

 働くということ より

 はい。
 とりあえず、
 希望の話をするために、
 働きますか。