「街的」ということ

 いつまでも動物園がトップだとなんか評判が悪いので更新。
 間があいたけど。

 「街」というのは、人が集い、地域色があり、独自の文化を持つものらしい。
 この本を読んでも、「街的」とはなにかよくわからないが、とにかく「中学校校区ごとにお好み焼きの味が違う」ようなその地域独特の文化をもち、それに親しみ、同一化しつつ自分らしさを求めつつ、ばかみたいにばかばかしくばか騒ぎしながら、楽しく生きていくようなことなのだろうか。
 この本では、メディアから一律に一方的に垂れ流される情報を鵜呑みにして、それに振り回されて消費行動に走る人のことを「田舎者」とばかにしている。「街的」な生き方には、そうではない地域色豊かで粋で雅で汚くてばかばかしい、なにか愉快なものがあるらしい。
 そして、一つ気になった部分。大阪のアメリカ村のくだり。

 新しい「街ができる」直接のきっかけとなるそのパターンはいつもそうだが、とてもシンプルである。
 それはワンフレーズで言える。
 「何かやろう」という人が何の前触れもなく突然出てきて、「自分で作った店」を出し、そこで「自分の好きなもの」を作ったり見つけてきたりして、「自分で流行らせる」。
 その場合、ロケーションはこれもだいたいそうだが、街の中心部ではないマージナル(周縁的)なところ。比較的家賃が安くかつ「近い」ところが選ばれる。

 街には店がある、より

 行政や大資本ではない、まったくの個人が突然始めて、自分で勝手に流行らせたものが街を作る。人間の力ってすごいなあって思う。
 結局大事なのは人の営みであり、人の後にのみ道はできるということなのだろうか。