つっこみ力

つっこみ力 (ちくま新書 645)

つっこみ力 (ちくま新書 645)

 これからの時代は、つっこみ力だ!!
 なんかもう、ここ数年もやもやとしていた気持ちが、分かったような気分。

 批判力と減点法を用いた評価では、完璧に正しい状態が一〇〇点満点で、間違いがあるごとに減点されます。一〇〇点満点を越えたところにこそ、付加価値というものが生まれて世の中が面白くなっていくのに、批判力は永久に付加価値を生みません。メディアリテラシーも同様です。
 そこで、つっこみ力の出番です。
 あなたがなにか間違いに気づいたとします。しかし、すぐ訂正するのは、ヤボの骨頂です。こんなとき、お笑い芸人だったらどうするか、考えてみてください。ひとつ。場を盛り上げられるかどうか。ふたつ。それが自分にとっておいしいかどうか。芸人が行動を起こすかどうかの判断基準は、この二点にかかっています。

 第一章 つっこみ力とはなにか、より

 批判や減点法では、付加価値を生み出すことはできない。なにか批判されたり指摘されたりして、「そんなことはどうでもいいじゃないか」と思うのは、「そんなことをしても、なんの付加価値を生まないじゃないか」ということなのだろう。
 人の子には絶対的真実、絶対的正義というものがなかなか手に入らない。せめて、付加価値をつけて、面白くするのが精一杯だ。

 

 正解がないからこそ、世の中はおもしろいんです。世の中を正しくするのではなく、おもしろくしよう、と考えるべきなのです。なんですか? おもしろさなんて、人それぞれで決められないじゃないか? なるほど。
 じゃあ、逆にお聞きしますけど、唯一の正解に向かって全国民が突き進むことのほうが、よっぽど危険なんじゃありませんか。歴史はその危険性を証明しているではありませんか。

 第一章 つっこみ力とはなにか、より

 世の中難しくてよく分からないけど、この概念はおもしろい。

 ぶっちゃげた話、批判力や論理力をいくら磨いたところで、実社会でその能力を発揮する場所や機会は、ほとんどありません。だって、いいですか、批判力や論理力は、すでに存在するなにかについて、正しいかどうかを検討する能力にすぎないんです。すでに存在するものが論理的に正しいことを証明したとて、「そうだね。とっくにわかってたよ」といわれるだけです。ご苦労様です。
 逆に、すでに存在するものを、完膚無きまでに、けちょんけちょんに否定したところで、結果はゼロになるだけです。何も生みません。
(中略)
 社会が本当に求めているのは、批判力や論理力ではなく、新たな価値を提供する想像力なんです。想像力は今までにないものを作るのですから、つねに正しいとはかぎりません。(中略)
 つまり創造力は、ギャグをいう能力、ぼけの能力です。社会が本当に求めているのは、ぼけ力のほうなんです。
(中略)
 ただ、つっこみは、批判や否定とは根本的に異なるんだってことをわかっていただくことが、大事です。ボケのいうことを完膚無きまでに否定してしまったら、台無しですよね。つっこみは、ボケの論理の歪みを指摘しつつも、それを否定・批判するのではなく、逆に盛り上げなきゃいけないんです。ボケの面白さを世間にアピールしなければなりません。
(中略)
 凡人や秀才は、自分ひとりの力でヒーローになろうとしてはいけません。つっこみ力を使って、ボケの盛り立て役に徹すればいいのです。

 第一章 つっこみ力とはなにか、より

 つっこみ力こそが、日本を救うために必要な力なのだ。

 なんでやねん。