格差社会の結末

 明日はどっちだ。
 

 様々なところで議論されている格差問題だが、様々な問題がある。
 高齢者同士の収入格差については、会社の会長や顧問と年金生活者では天と地との開きがある。
 自由と平等を両立させるのは難しい。自由を重視すれば格差が開き、平等を重視すればモティベーションインセンティブが失われる。
 そのため、格差に対する対応の問題は極めてデリケートな政治問題となる。

 「貧困層は本当に存在するのか、助けるべき人々なのかという迷い」、「富裕層の中には不届きものもいるが、実力で稼ぎ寄付やボランティアを行う立派な人々もいるという迷い」、「所得再配分は望ましいことだが、税金を集める政府は信用できるのかという不信感」、「所得再配分権限を強めた場合、富裕層ではなく自分たちの負担のほうが増えるのではないかという中間層の猜疑心」の四つが重なり合うことで、最も多数を占める中間層を中心に、一般国民の心理は微妙に揺れ動くことだろう。
「格差は拡大しており政府は是正すべきと思うが、自分たちの負担が増えてまで貧困層に所得を再配分する必要があるのか」という悩みが中間層を中心に消えないために、「怒り狂う」というレベルに達しないのである。

 第4章 富裕層は追い詰められるのかー「小さな政府路線」の持続性ー より

 だから、バランスが難しい。
 筆者の書く「バラ色の格差社会の結末」は、

 これからも、日本経済を支える原則は1個人・企業の自由公正な経済活動、2個々人の能力に基づく格差を容認するということの二つ(市場の原則)である。それに対して、日本社会を支える原則は1格差を固定させないこと、2コンセンサスを築いて再配分すること、3競争で漏れ落ちる人を一人でも少なくしゼロを目指すこと、社会の瓦解を防ぐことの四つである。

 第6章 「経済の法則」と「社会の法則」の切り分けをー日本社会に信頼を再びー より

 というものらしい。
 
 薔薇の色がどんな色だったのか、思い出せない。